坂口 助次郎

1883~1959年;明治15年~昭和34年

 昭和35年版の吾平町誌によると、鹿師範卒・小学校長・薩摩郡社会教育主事・私立商工学校長、第13代村長・第1代町長であった。

 桜島の大正大噴火後に教育者としての活動事例を示す印刷物が昨年、垂水で見つかった。新城村にあった新城小学校の職員が、大噴火で疲弊した新城村の復興を期して、毎月発行したガリ版刷りの広報紙『新城時報』の第1号であった。それは新城小学校校長の坂口助次郎氏(33歳)の呼びかけに学校職員、児童、村の有志が賛同して実現した。

 『新城時報』には、郷土の広範囲の情報が盛り込まれ、ユーモアを交えて読みやすく、また多くの村民を引き付けるような工夫がなされていた。特に坂口校長は、村民を奮い立たせる内容の論説や郷土の偉人など、多くの文章を書いた。

 その後、坂口氏は昭和21(1946)年に姶良村(今の吾平町)の村長となり、昭和22年10月まで2期村長を務め、昭和22年10月15日に町制を施行して「姶良」を「吾平」と名称変更した。

 そして昭和30(1955)年4月まで町長を2期務めた。昭和16(1941)年から始まった太平洋戦争が昭和20年に終わり、坂口村長は、敗戦で困窮し、打ちひしがれた村民を奮い立たせ、町制を進展させるために尽力した。

 具体的施策は、
①困窮した町民の食料難を打開。
②町の行政機構を刷新し、町制を実施。
③吾平中学校の創設、町立の定時制高校の設立。神野中学校を神野小学校と併設して独立校とした。吾平町立定時制高校の移転と校舎の新築、3小学校の改築・増築。
④吾平町公民館の建設。
⑤失業対策事業を実施しトラックを購入。
⑥真戸原林道を新設。⑦国有林の払下。
⑧水流井堰の新設と中央線(吾平から田代への道路)の新設。
⑨消防団員の増員とその施設の充実。  

 坂口氏は2度の困窮時に村民町民を奮い立たせる能力があった傑物であった。

<関連資料>

                    新城時報第一号
                     吾平町役場庁舎

参考文献:
①『大正三年の『新城時報』第壹号の紹介』瀬角龍平(未発表原稿)、
②『吾平町誌 上巻』昭和35(1960)年

(文責:朝倉悦郎)